昭和43年6月11日 夜の御理解


 御理解第59節に「習うたことを忘れて戻しても師匠がどれだけ得をしたということはない。覚えておって出世をしあの人のおかげで、これだけ出世したと言えば、それで師匠も賀ぶ。おかげを落としては神は喜ばん。おかげを受けてくれれば神も喜ぶ。金光大神も喜び氏子も喜びじゃ」59節にあります、師匠も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃとこう仰せられる。やはりこう、私ともの信心が神様に喜んでもらわなならん。取次ぎ、金光大神に喜んでもらわなならん。そして、自分も喜ばせてもらえるおかげでなからなければならん。中々こう、難しいようにありますけれどもね、(?)自分が思いがかなうたとか、成就したということだけでは、そういうおかげではやはりいけん。神も喜び、金光大神も喜びということになからなければいけんのですけれども、このように私はあの、(?)。昨夜のお月並祭前にあの、(?)先生が前講を勤めておりましたですよね。あの中に私あの、先生の話を簡単な10分か15分の話でしたけれども、もう、合楽の信心のすべてだと私は思うたのですね。
 本当にあの、信心を一生懸命修行して身につけていきよる人の、あれだと。あれ以外にないと思うたのですね。ここで、熱心に打ち込んでおるというほどしの人ならば、本当にまあ、そうじゃないかとこう思うのですね。とにかくここで、結局信心とは我が心が拝めるようになるということ。いわゆる、自らなる心への帰依だと。次は、金光大神の道はそのまま親先生への帰依だとこう言っておるわけね。それから、御教えの帰依だと。それを例えばひとつの問題の場合でもです、楽なほうをとらずに、楽でないほうを挑戦すれば必ず、喜びは与えられるという体験を通して話しておりましたでしょうが。ね。それを結局どういう事かというとですね、結局あの、ここの場合は親先生に喜んでさえもらえば、神も喜び、氏子も喜び、と言う事になってくるんですよ。ですから、神も喜び、氏子も喜び金光大神も喜びじゃという、えらい、難しく考えちゃならんです。もう、ここの場合は私が神様の天地の親神様の信心にかのうておるというか、金光大神の御教えを深く帰依して皆さんに聞いてもらっておるのですから、もう、私が喜ぶような信心さえすれば金光大神への帰依でもあり、天地の親神様のお喜びでもあり、同時に自分にもこういう喜びがあっただろうかという喜びに触れて行く事も出きるのですから、ね。ここんところを、はあー金光様のご信心ちゃ難しいかち、神様に喜んでもらうごたる信心、金光大神にも喜んでももらわなならん、そしてその上自分も喜べれる、というと大変こう難しいようですけれども、とにかく素直に親先生に喜んで頂く信心。本当に親先生が言われることはそのまま御教え。もう、御教えの帰依と金光大神の帰依ができておる。そこからおかげが受けられたら天地の親神様は喜んでくださらんはずがない。結局結論すると、ね、親先生に喜んで頂く信心。私はここで思うのですけれどもね、ご信者さんあたり、ご信者さんではそういう人があるけれどもね、家族の者がね、果たしてそういうふうに頂いておるだろうかと。子供やら家内やらがね、親先生にさえ喜んで頂ければ、金光大神の喜びにも通じるのであり、天地の親神様への喜びへも通じるのだと言うふうに考えておるだろうか。これは、私が粗末に扱われておるといったような意味ではないですけれどもね。何か結局お父さんであったり、主人であると言うことになれば、家内子供達の場合でもですね、お父さんへの帰依があって、実は御教えには帰依していないといったところが感じられるのですよ。
 ね。ですからここんところの御理解をね、神様への帰依、金光大神への帰依。神にも喜んでもらう、金光大神の喜びでもある。氏子も喜ばれるという信心はいかにも、これはもう親先生にも金光大神にも(?)(?)そして自分もそういうおかげを頂かなんならんけん、難しかという頂き方をせずにもう、純に素直に久富繁雄さんではないですけれども、ね、金光教の信心の全てといったようなテーマでこの頃話しなさったようにです、とにかくまあ、親先生に喜んで頂く以外にないといったような事をそん時にはちいと偏見だなとこう思うたのですよね。親先生ばっかり大事にしてから、(?)私はほんなっこやせ細ってしまう。というような冗談まで言ったようなことですけれども、実際はそうじゃない。それこそ先生がやせ細るくらいに先生を大事にさせて頂くというか、帰依した上でですよ、する事になればそれはそのまま神の喜びにもなりゃ金光大神の喜びにもなりゃ自分自身にも喜びが与えられる。
 勿論その喜びにおかげが伴わないはずがない。もう、ここに極まったと私は思うのですよね。そういう意味合いで昨日の(三橋先生?)のお話は本当に合楽の信心の全てだと私は思うですね。
                                     どうぞ